季節の和菓子と抹茶を楽しもう!菓銘の歴史や由来は?銘「菊まがき」

茶会などで使われる和菓子には、それぞれ菓銘がついているのをご存知ですか?では、銘はどのようにしてつけられるのでしょう?そこに込められた意味は?和菓子の歴史や由来がわかると、よりいっそう味わい深いものになります。そこで、今回は和菓子の歴史と、銘「菊まがき」の由来についてご紹介します。

和菓子の歴史

出典:国会図書館デジタルコレクション 御菓子雛形

日本の年中行事の多くは宮中行事と農耕儀礼が結びついたものといわれます。五穀豊穣や招福除災の願いを込めて、特別な食べ物が用意されました。その代表がお餅で、稲作の象徴として神様に供えたり、お正月の鏡餅、ひな祭り、端午の節句、お月見など、いろいろな行事に使われました。

次に、大きな影響を与えたのは喫茶の流行です。お茶は鎌倉時代初期(1191年頃)に、栄西禅師が大陸から持ち帰って伝えたものですが、やがて喫茶の風習が広まり、茶の湯が流行します。

室町時代の茶席には、「点心」と呼ばれる軽食があり、その中に「羊羹(ようかん)」がありました。羊羹は羊の肉の入った汁でしたが、当時、獣肉食の習慣がなく、羊の肉に似せて麦や小豆の粉などを用いました。

こうして生まれたのが「羊羹」の始まりで、当時は「蒸羊羹」でした。のちに寒天が発見され、煉羊羹に変化したのは寛政年間(1800年前後)です。

茶の湯の菓子としては「打栗」「煎餅」「栗の粉餅」「フノヤキ」などがありましたが、決して贅沢な菓子ではなく、健康志向の自然の恵みが多いですね。

江戸時代以前は、国内でつねに合戦があり、とても菓子を楽しむという時代ではありませんでした。が、江戸の平和な時代になって菓子づくりは大きく発展します。

日本中の城下町や門前町で独特の和菓子が生まれたのもこの時代で、京都の京菓子と江戸の上菓子が競い合うようにして、菓銘や意匠に工夫を凝らした和菓子が次々に誕生しました。

当時、和菓子の見本帳まであっことに驚かされます。現在でもっとも古い見本帳は虎屋の1695年(元禄8)のもの。シンプルで色も洗練され、300年以上も前に考案されたとは思えないほどの斬新さです。

現在、私たちが食べている和菓子の多くは、江戸時代に誕生したものです。

菓銘「菊まがき」って

菓銘「菊まがき」

短歌や俳句、花鳥風月、地域の歴史や名所に由来していることの多い「菓銘」。菓銘はもともと、和菓子店が独自に名付けるものですが、そこから広まり、一般的に使われるようになったものもあります。

たとえば菓銘「菊まがき」は、秋の風物からとられたものです。籬(まがき)とは、竹で目を粗く編んだ垣根のことをいいます。秋の日、庭のまがきに菊の花が美しく咲いているようすをあらわしています。

まがきと菊を組み合わせた「籬紋(まがきもん)」は、蒔絵などの伝統工芸品、抹茶茶碗、訪問着や友禅などの着物にも日本的な風物として文様化されています。

風景の一部として描かれ、菊や秋草などとともに独特の趣きを生み出しています。

春には春の、秋には秋の季節を感じさせる菓銘は、日本人らしい繊細さゆえではないでしょうか。お菓子職人さんの心を感じながら、至福の一服をいただきましょう。

和菓子の原材料

元禄時代には高価な白砂糖を使った「上菓子(じょうがし)」が京都の上層階級に広まりました。上菓子は上等な菓子という意味で、花鳥風月を題材にしたみやびな意匠と文学的な菓銘があげられます。

基本的な材料は、米、山芋、砂糖、豆類といった植物性のもので、このほか寒天や葛粉、栗、けしなどが季節になると使われます。

「ねりきり」の材料は、白こし餡と薄力粉をまぜて蒸したものに砂糖水を加え、練り上げたもの。色をつけて梅や桜もみじなどさまざまな形に整えます。

「きんとん」は、蒸した山芋などを裏ごしして砂糖と炊いたものを裏ごし器でそぼろにし、餡を包んであじさいや栗きんとんなどの季節をあらわしたもの。

「葛(くず)」は、本葛粉に水を加え湯煎しながら溶かして固めたもの。葛餅など、夏に涼しさを感じさせる素材として使われます。

「薯よ(じょうよ)」は、山芋をすりおろして砂糖と上用粉を加えて蒸したもの。上用饅頭の皮に用いられます。

珍しいものでは、蓮根、榧の実などを蒸し羊羹に入れたりもします。

甘味のほか、しょうゆや味噌などを使って、味わいに変化をつけているものもありました。江戸時代の職人もおいしい菓子作りのために、創意工夫をしていた様子がうかがかえます。

最近は、チョコレートやゼラチン、牛乳といった新しい材料を取り入れた和菓子が、時代を超えて私たちに受け継がれています。

まとめ

四季折々の風物をうつした美しい色合いの和菓子は、目も楽しませてくれます。慌ただしい時代だからこそ、季節の和菓子とお茶をいただくと心がいやされて最高に贅沢な時間です。

なぜ茶席に椿?冬の寒さに一輪の華やぎ、椿の種類、開花時期、特徴も!

山や庭も冬枯れの時期、茶席ではどんな花でもてなすのでしょうか?炉の季節の代表格といわれるのが椿で、椿にはじまり椿に終わるといわれるほどです。その種類はたくさんあって、名前も茶人好みの趣きがあってなかなか興味深いものです。

椿が好まれるのは

椿は、冬の炉の季節によく使われます。茶の湯では、5月〜10月までを「風炉の季節」、11月〜翌年4月までを「炉の季節」と分けて、茶釜や茶道具を取り替えるなどして季節感を大切にします。

椿は中国から伝わってきましたが、日本でも常緑樹として古くから神聖な木として神社やお寺の境内によく植えられています。

こうしたことから椿は、茶人にも茶席の花として好まれてきました。そして多くの園芸品種がつくりだされ、「侘助」「有楽椿」「数寄」など風雅な呼び名があることからも知ることができます。

茶室の狭い空間にいれた一輪の椿は、寒さに耐えて春を待つ姿が見る人の心に残ります。

生花では開花した花を豪華に活けますが、茶席ではつぼみを用いてその楚々とした美意識を感じさせます。

代表的な椿

  • 侘助(わびすけ)
    晩秋から寒中にかけて、花は一重で小さく花びらの数が少なく、猪口のように半開状に咲きます。白、桃、紅色などがありますが、白侘助は茶室の花として好まれます。

  • 初嵐(はつあらし)
    白色で一重咲きの古典品種の椿。開花時期は10月〜3月。つぼみは長楕円形で、咲きはじめは先端に丸みがあり、開花すると筒咲きになります。秋咲きの椿として、照葉とともにあしらいます。

  • 加茂本阿弥(かもほんなみ)
    豪壮なつぼみと美しい葉の対称が椿のなかでも筆頭。開花時期は1月〜4月ごろ。つぼみの先端に三頭裂の雄しべがみえるのが特徴。別名「窓の月」と呼ばれ、白一重で丹精な存在感があります。つぼみが少し開くと大きな黄色い雄しべがみえます。

  • 有楽椿(うらくつばき)
    有楽椿は、織田信長の弟である織田有楽斎が茶花として愛用したことからこの名がつけられたといわれます。開花は時期は12月〜4月と、長い時期楽しめます。

  • 白玉(しらたま)
    京都で江戸時代から栽培されてきた品種です。開花時期は10月〜3月。名のとおり全体に丸い形をしていて、濃い緑の葉の中から淡い白色の花をつけます。ぷっくりとしたつぼみは愛らしく、茶席でも格のある椿です。

  • 藪椿(やぶつばき)
    藪椿は、北海道以外の日本全国の広い地域に自生していて、椿の原種です。一重と八重があり、大輪から小輪まで花色や形に千差万別の品種があります。道路の植え込みや椿園などで見かけることがあります。椿とさざんかはよく似ているので間違えやすいのですが、花が散る時の違いがあり、椿は花全体がぽとんと落ちますが、さざんかは花びらが1枚ずつ散っていきます。


このほかにも椿には、西王母、数寄屋、曙、太神楽、都鳥、都鳥、赤侘助、八朔、永楽、衣笠、日光、聚楽、春曙紅、雪舟、日の丸……など、まだまだ数えきれないほの種類があります。日本中でそれだけ愛好家に愛されているのがうかがえます。

2000種類あるともいわれる椿は、なかなか名前をいいあてられないものです。茶席でわからない時は、亭主に聞いてみるといいでしょう。名前や由来がわかると、そこからまた会話が広がります。

椿に添えたい枝もの

椿にあわせて枝ものを添えることがあります。11月なら照葉ですが、どんな枝ぶりりものを選ぶかがポイント。これから開花を迎える椿と散りゆく照葉の取り合わせは、変化があって絵になります。

  • 万作(まんさく)
    マンサク科の落葉木。山野に自生していますが、花が美しいので庭園にも植えられます。葉が大きく晩秋の照葉はひときわです。
  • 楢(なら)
    ブナ科の落葉木。初冬の霜が降りるころに美しく染まった照葉を茶席に用います。
  • 結び柳
    正月の初釜には、芽吹きを象徴する大きな結び柳と紅白の椿をいれて新年のことほぎをあらわします。
  • 臘梅(ろうばい)
    梅の花が咲く2月ごろに咲き、花の色が黄色く臘のような光沢があるのでこの名前があります。落葉低木で、花は葉の出る前に下向きに咲く特徴があります。つぼみのころがもっとも風情があり、茶花では椿と用います。
  • 三叉(みつまた)
    和紙の原料として古くから山間地で栽培されています。茎が直立し、枝が3本ずつに分かれるのでその名で呼ばれます。高さは1〜2mくらいになり、花の色は黄色、早春に葉のでる前に咲きます。野趣があり、冬の茶花としてつぼみを用います。




    ‹花のある暮らしのすすめ

日ごろ忙しくて花をいける余裕がないというとき、花のお届け便は助かります。お友達やご家族の記念日にも、あなたの気持ちを届けてみませんか?

まとめ

茶花というとむずかしいと思うかもしれませんが、それは人々に古くから親しまれてきた花でもあります。四季折々、暮らしの中に一輪の花を楽しみましょう。

茶の湯の楽しみ。利休のふるさと堺を訪ねて!屋敷跡・さかい待庵・茶の湯体験も

千利休は、その後400年受け継がれるわび茶の世界を集大成した人です。おもな活躍の場は京都ですが、生まれ故郷は大阪の堺市です。堺には、利休の屋敷跡や若いころから茶の湯に親しんだ寺、ゆかりの茶室もあります。今回、一度行きたかった利休ゆかりの地を訪ねました。

千利休の屋敷跡

堺市・阪堺線の宿院駅をおりてすぐのところに千利休の屋敷跡があります。

利休は1522年(大永2)豪商魚屋の長男・与四郎として堺に生まれました。当時の堺は貿易や商業都市として栄え、流行の最先端でした。利休は恵まれた環境のなか17歳のとき北向道陳にはじめて茶の湯を学び、のちに豪商で茶人の武野紹鴎に師事、その後、信長や秀吉の茶頭として仕えながらわび茶のスタイルを大成させました。

敷地は125坪と意外と小さく、当時の町割(まちわり)によると豪商といわれる家もさほど広くなかったようです。利休は、こうした簡素で省略された空間で商いや茶の湯に親しんでいたのでしょう。

跡地には利休ゆかりの椿の井戸が残るくらいですが、復元された井戸の屋根材には因縁の大徳寺山門の古材が使われています。ボランティアの人の話を聞きながら、わびの寂しさや利休の世界観にも想いをはせることができます。

  • 千利休屋敷跡
  • 住所/堺市堺区宿院町西1丁目17-1
  • 開門時間/10:00〜17:00

さかい待庵

「さかい待庵」は千利休が作った唯一の茶室として、京都の妙喜庵「国宝・待庵」を復元した茶室です。部屋の広さは客座一畳に点前座一畳のこれ以上狭くすることができない極小の空間です。

それまでの数寄屋造りの茶室と比べると、茶の湯に必要なもの以外はすべてそぎ落とし、土壁のわらを表面に浮き立たせたり、面皮柱を使用するなど、より簡素化した美が演出されています。

利休が生きた時代は戦国末期の乱世で、文化は信長・秀吉の派手できらびやかなものが好まれていました。

しかし、晩年になると利休は余分なものを取り除き一期一会の世界、自然な姿を極めていきます。極限まで簡素にした茶室に花一輪いけてある、そんな美しさに利休は心ひかれていきます。

待庵が創建されたのは、1582年(天正10〜11年)利休60歳のころです。その後、利休は秀吉から切腹を命じられ、わび茶にこめられた無言の抵抗を貫きました。

現代は何でも手に入る便利な世の中ですが、利休の真髄にふれ本当に大切なものはなにか、忘れていたものを見つけた気がしました。

さかい待庵は、屋敷跡の横にできた新しいミュージアム「さかい利晶の杜・千利休茶の湯館」にあります。

茶の湯体験!

茶道三千家の指導のもと、茶室でお点前の体験ができます。にじり・正座・床の鑑賞・菓子やお茶のいただき方など茶の湯の作法の体験や、実際に自分でお茶を点てることもできます。本格的な茶室で、初めての人でも気軽に楽しめます。(要予約)

また、立流の呈茶席が設けられていて、椅子席でお菓子と抹茶を味わうこともできます。お菓子は季節ごとに堺の和菓子がいただけ、ほっとひと息つける場所です。

  • 茶の湯体験は、「さかい利晶の杜」館内で申し込めます。

さかい利晶の杜・千利休茶の湯館

「さかい利晶の杜・千利休茶の湯館」は、千利休と境の街、千利休と茶の湯、千利休とその後の3つのコーナーで展示したミュージアムです。利休と堺をめぐる人々、天下人とのつながりや、利休によって革新、大成されたわび茶のありようが紹介されています。

さかい利晶の杜2階は堺が生んだ歌人・与謝野晶子記念館となっています。晶子を代表する「みだれ髪」や愛用した品々が展示されています。

利休ゆかりの南宗寺

さかい利晶の杜から阪堺線「宿院駅」〜「御陵前駅」で降り、10分ほと歩くと南宗寺があります。

南宗寺は1526年(大永6)に建立された、戦国武将・三好長慶ゆかりの禅寺です。利休はここで修行し、禅の心を茶の湯に昇華させたといわれています。

利休の師である武野紹鴎も南宗寺に参禅し、晩年大黒庵主となっています。

境内には、利休好みの茶室「実相庵」や千家一門の供養塔があります。供養塔中央は利休居士の塔、右に表千家、左に裏千家、手前に武者小路千家の塔が立っています。隣には師の武野紹鴎の供養塔などがあります。

南宗寺には、千利休をはじめ室町時代の連歌師・牡丹花肖柏の墓などもあり、優れた文化人を排出したことを物語っています。

  • 南宗寺
  • 住所/堺市堺区南旅籠町東3丁目1-2
  • TEL/072-232-1654

《おすすめの宿泊プラン》

一度は泊まってみたい癒やしの宿や温泉旅行など、お好みの宿をチェックしてみませんか!

まとめ

堺は中世の自由都市として、豪商だけでなく広く庶民のあいだでも茶の湯が親しまれていたそうです。茶の湯を楽しむ文化は現代も受け継がれていて、もてなしの心や思いやりにあふれる街でした。機会があれば、ぜひ訪ねてみてください。

茶の湯の楽しみ。11月は炉開き?秋の風情にあやかり、抹茶を点ててみよう!

11月に入って秋の気配も深まるころ、茶の湯では「炉開き」といって気持ちを新たにして一服のお茶を味わいます。炉開きって何?おもてなしの工夫とは?あまり難しく思わず、気軽に抹茶を点てて和の心にふれるのもいいものです。

炉開きは、茶の湯のお正月

煎茶は「夏も近づく八十八夜」に茶摘みをして、5月が新茶の時期です。ところが、抹茶は5月に摘んだ茶の葉をいったん蒸して乾燥させます。それを茶壺につめて封印をして保存します。夏を越したお茶の香りは、とてもふくよかな味わいに変化します。

そして、秋も深まり「風炉」から「炉」へと変わるころを「口切り(くちきり)といって、はじめて茶壺の口を切って抹茶を点てます。茶の湯では一年のはじまりであり「茶の正月」ともいわれています。

10月終わりごろ風炉の名残りがわびしさを感じさせるのに対して、11月はじめ口切りの茶事は心機一転、床の間に茶壺を飾りあらたまった気分で行われます。

炉の中のあかあかと燃える炭火がうれしいこの頃は、亭主と客が一服の茶を楽しみながら、しみじみとした風情を感じることができます。

抹茶を一服、おしゃれなもてなし

一服いかがですか、と抹茶とすすめられたらはじめての人はちょっと緊張するかもしれません。でも、お茶を点てる人の心づかいや雰囲気に心穏やかなひとときを感じられるのではないでしょうか。

おいしいお菓子があるから一服、親しい友だちに一服とか、気軽にリビングでのもてなしに抹茶を楽しむのもいいものです。道具も茶碗と茶筅かスプーン、茶杓、ふきんがあれば手軽にもてなすことができます。

お湯はポットで沸かしたもので充分です。作法や道具は省略しても、お茶を点てるときの心づかいは大切です。肌寒い頃には、熱いお湯をすすめるのがなによりのもてなしです。

そのため、まず茶碗にお湯を注いでまんべんなく温めます。茶筅もお湯に浸して穂先が折れていないか調べておきます。お湯を建水(茶碗の湯をあける器)にあけ、ふきんで茶碗をぬぐい、抹茶を茶杓に1杯半〜2杯(スプーンなら小さじ1)入れます。沸騰してやや煮えが落ち着いたお湯を30cc〜50cc注ぎ、茶筅で手早く点てます。

お茶を差し上げる前に、和菓子や干菓子をすすめましょう。季節感あふれるお菓子とともに、抹茶をいただくといっそうおいしくなります。

ふだんはあわただしく過ごしていても、一服のお茶から深まる秋のひとときを楽しみましょう。

冬はいかにも暖かなるように…

「夏はいかにも涼しきように、冬はいかにも暖かなるように、炭は湯のわくように、茶は服のよきように……」

利休の教えのひとつですが、その意味は、夏はいかにも涼しいように、冬はいかにも暖かなように、炭は湯のわくように、茶は飲みかげんがよいように…。

ある人が利休にお茶の極意を尋ねたところ、このような答えが返ってきました。質問した人は、秘伝を教えてもらえるのではないかと期待していたのに、「茶の湯は夏涼しく冬は暖かく……」という、ごく当たり前のことしか言ってもらえません。

もっと難しいことを教えてくれると思っていたので、「そんなことは誰でもわかっています」と反論しました。すると利休が、「それなら、今いったようなお茶を点ててみてください。それができたなら、私はあなたの弟子になります」、と…。

当たり前のことこそ、いちばん大事だという教えです。受ける側の心がけしだいで、つまらないこととして終わってしまうかどうかですね。私も茶道のけいこの場だけでなく、ふだんからこのようにできたらいいと思っているのですが、まだまだ精進が足りないようです。

まとめ

毎日、口にしているお茶も入れ方で味も香りもずいぶん違うものです。時には抹茶の一服も風情があります。おいしいお菓子があればなおさら、抹茶がおすすめです。