千利休は、その後400年受け継がれるわび茶の世界を集大成した人です。おもな活躍の場は京都ですが、生まれ故郷は大阪の堺市です。堺には、利休の屋敷跡や若いころから茶の湯に親しんだ寺、ゆかりの茶室もあります。今回、一度行きたかった利休ゆかりの地を訪ねました。
千利休の屋敷跡
堺市・阪堺線の宿院駅をおりてすぐのところに千利休の屋敷跡があります。
利休は1522年(大永2)豪商魚屋の長男・与四郎として堺に生まれました。当時の堺は貿易や商業都市として栄え、流行の最先端でした。利休は恵まれた環境のなか17歳のとき北向道陳にはじめて茶の湯を学び、のちに豪商で茶人の武野紹鴎に師事、その後、信長や秀吉の茶頭として仕えながらわび茶のスタイルを大成させました。
敷地は125坪と意外と小さく、当時の町割(まちわり)によると豪商といわれる家もさほど広くなかったようです。利休は、こうした簡素で省略された空間で商いや茶の湯に親しんでいたのでしょう。
跡地には利休ゆかりの椿の井戸が残るくらいですが、復元された井戸の屋根材には因縁の大徳寺山門の古材が使われています。ボランティアの人の話を聞きながら、わびの寂しさや利休の世界観にも想いをはせることができます。
- 千利休屋敷跡
- 住所/堺市堺区宿院町西1丁目17-1
- 開門時間/10:00〜17:00
さかい待庵
「さかい待庵」は千利休が作った唯一の茶室として、京都の妙喜庵「国宝・待庵」を復元した茶室です。部屋の広さは客座一畳に点前座一畳のこれ以上狭くすることができない極小の空間です。
それまでの数寄屋造りの茶室と比べると、茶の湯に必要なもの以外はすべてそぎ落とし、土壁のわらを表面に浮き立たせたり、面皮柱を使用するなど、より簡素化した美が演出されています。
利休が生きた時代は戦国末期の乱世で、文化は信長・秀吉の派手できらびやかなものが好まれていました。
しかし、晩年になると利休は余分なものを取り除き一期一会の世界、自然な姿を極めていきます。極限まで簡素にした茶室に花一輪いけてある、そんな美しさに利休は心ひかれていきます。
待庵が創建されたのは、1582年(天正10〜11年)利休60歳のころです。その後、利休は秀吉から切腹を命じられ、わび茶にこめられた無言の抵抗を貫きました。
現代は何でも手に入る便利な世の中ですが、利休の真髄にふれ本当に大切なものはなにか、忘れていたものを見つけた気がしました。
さかい待庵は、屋敷跡の横にできた新しいミュージアム「さかい利晶の杜・千利休茶の湯館」にあります。
- さかい利晶の杜
- 住所/堺市堺区宿院町西2丁目1-1
- TEL/072-260-4386
- URL/http://www.sakai-rishonomori.com/
茶の湯体験!
茶道三千家の指導のもと、茶室でお点前の体験ができます。にじり・正座・床の鑑賞・菓子やお茶のいただき方など茶の湯の作法の体験や、実際に自分でお茶を点てることもできます。本格的な茶室で、初めての人でも気軽に楽しめます。(要予約)
また、立流の呈茶席が設けられていて、椅子席でお菓子と抹茶を味わうこともできます。お菓子は季節ごとに堺の和菓子がいただけ、ほっとひと息つける場所です。
- 茶の湯体験は、「さかい利晶の杜」館内で申し込めます。
さかい利晶の杜・千利休茶の湯館
「さかい利晶の杜・千利休茶の湯館」は、千利休と境の街、千利休と茶の湯、千利休とその後の3つのコーナーで展示したミュージアムです。利休と堺をめぐる人々、天下人とのつながりや、利休によって革新、大成されたわび茶のありようが紹介されています。
さかい利晶の杜2階は堺が生んだ歌人・与謝野晶子記念館となっています。晶子を代表する「みだれ髪」や愛用した品々が展示されています。
利休ゆかりの南宗寺
さかい利晶の杜から阪堺線「宿院駅」〜「御陵前駅」で降り、10分ほと歩くと南宗寺があります。
南宗寺は1526年(大永6)に建立された、戦国武将・三好長慶ゆかりの禅寺です。利休はここで修行し、禅の心を茶の湯に昇華させたといわれています。
利休の師である武野紹鴎も南宗寺に参禅し、晩年大黒庵主となっています。
境内には、利休好みの茶室「実相庵」や千家一門の供養塔があります。供養塔中央は利休居士の塔、右に表千家、左に裏千家、手前に武者小路千家の塔が立っています。隣には師の武野紹鴎の供養塔などがあります。
南宗寺には、千利休をはじめ室町時代の連歌師・牡丹花肖柏の墓などもあり、優れた文化人を排出したことを物語っています。
- 南宗寺
- 住所/堺市堺区南旅籠町東3丁目1-2
- TEL/072-232-1654
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まとめ
堺は中世の自由都市として、豪商だけでなく広く庶民のあいだでも茶の湯が親しまれていたそうです。茶の湯を楽しむ文化は現代も受け継がれていて、もてなしの心や思いやりにあふれる街でした。機会があれば、ぜひ訪ねてみてください。